2011年8月7日日曜日

DIYと発酵

Mar Frauenfelder著「Made by Hand」。DIYにめぐる個人の奮闘記といったところでしょうか。でもこの本に書かれているDIYは私が思っているよりも非常に多岐に渡っていて、DIYがとても広い概念なのだと驚きました(日曜大工がDIYだと思ってましたw)。野菜、肥やし、自家発電、家、発酵食品、蜂の飼い方から果ては教育までも「自ら作ることにチャレンジする」のが面白い。
自分の興味というものがどこから湧き上がってきているのかなんて、あまり考えたことなかったけれど、この本を読んだら近い感情がこの中にあるかもしれないと思い始めてきました。



なにか世間にあるもので工業化されたり製品化されているものを自分でつくりたい、あるいは仕組みを知りたいという欲求は多くの人々の中にあるのではないでしょうか。ただ最近に限っていえば、(特に電子機器に関しては)何でもマイクロ化する傾向が強くて、どんどん肉眼でも見えなくなってしまい、自分でコントロールできる領域が狭まってきています(人間業で作るのがは不可能なものも多くなってきているんでしょう)。人々の興味も画面の中のコンテンツに移ってしまい、もう機械そのものへの興味というのはこれからの時代は希薄になってくるのかもしれません(そういった意味ではプログラミングに興味が移行している?)。

昔のラジオや扇風機、トースターなどあらゆる家電がアナログの操作系によって構成されていました。中をあければ仕組みがわかります。いじってみたくなるのは、元に戻せるだろうという勝手な自負心も手伝って、自分のコントロールできる領域を試したくなるのでしょう(それっぽい理由を考えても単なる好奇心としか言いようがないですがw)。

食べ物に関してはどうでしょうか。
このブログでよく出てくる発酵の作用を及ぼす菌はもともと人間の目には見えないものですが、なんでかとても興味があります(プログラミングに似ているのかも、いやプログラムよりも中身は見えないですね)。らっきょう漬けや味噌の制作過程において、菌自体は見えないけれどもプロセスは感じられます。見た目、匂い、発酵する音、味、触れた感覚で、五感で感じることができます。菌がどんな科学的な作用をしているか分からないけれど、自分で分かる範囲で感じることができるとき、人は何か作ったりコントロールしてみようという興味がわき始めるのだと思います。
もともと人間の手で作っていたものを工業化しているのだから、本当は誰にでもできるはずなのだけれど、現代人が時間や手間というものを省いて便利さを優先した結果、いろいろなことを忘れてしまったんでしょう。

この本にも発酵の章がありますが、レシピや内容については期待しない方がよいかもしれません。この本はレシピ集ではなくて、それぞれの章ごとに、作るまでに行き着く状況や思いがつづられているもの(アメリカ人も日本人も根っこは一緒なんだなぁという感じです)。アメリカ人(いや著者かな?)やるなぁという行動力、そして広い土地を持っていて羨ましいw でもそんなことより歴史のある日本ならもっとDIYに使える知識や技術などの文化がとてつもなく眠っている気がして、掘り起こしてみたい衝動に駆られています。

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